ばーちゃんが明石にきた頃
ばーちゃんが明石に来た頃、あの時は、ほんとに酷かった。何が酷かったって?
毎日、毎日、ばーちゃんは、泣きながら怒号して、帰る。帰る。特にお昼回って3時くらいから、不安になるのか、 持ってきたボストンバックに服を詰めて、駅まで送ってくれたら帰れるから。駅はどこだ、切符買って電車に乗せてくれ。車で千葉まで送ってくれ。est・・・
主人には、殴られる、殺される、警察に連れてかれる。って言って。息子だと分かってると思うけど、大きな大人の男性が怖かったんだと思います。
主人も売り言葉に買い言葉、逆に主人の方が精神病になったかの様な、奇声を出して大声で叫んだりして、
なんか、家の中が別空間になったかの様でした。
今の病院は、認知症の対応出来てないと思う
明石に来て、すぐの頃、ばーちゃんの事が心配になって、近所の病院に連れて行ったことがあります。
少し大きな病院だけど地域密着型で、私の掛かり付け医でもあるA病院
本当の事を言っても、連れていけないので、主人が
最近、腰の調子が悪いから病院行くけど着いて来てくれ。
先に、私が病院の受付に行って
すいません、母が認知症酷くて困ってます。
どうすることも出来ないので助けてください。
先に、受付で現状説明してるので、ばーちゃんの名前とか、受付から言うとは思わないでしょう。
それが、大きな声で「ばーちゃんの名前〇〇さん」
もーーーーーーーーーーーー。
ばーちゃん読み書きが出来ないけど、自分の名前は読めるので、すぐ飛んできて
〇〇って言ったぞ。見せてみー。お前ら騙してるやろ。
その後は、保険証やらナンバーカードなんか、大切な書類をばーちゃんに奪い取られてしまった。
結局、先生には精神病院に騙して連れて行くしか無いですね。って言われたけど
そんな事出来る訳も無いし、結局、病院も他人事で患者に親身になって聞いてくれないんだなーって思いました。
(昔、子供の時に診てくれていた先生ってしっかり人の顔診てくれてたけど、今は、そんな先生少ない気がします)
福祉支援を受けるために
2年前に父が入院他界した経験から、福祉センター、地域包括センターが有る事は知っていたので、
すぐに、私の住んでる地区担当の錦城衣川総合支援に電話。
千葉から来た、ばーちゃんの事を伝え、どうやったら、支援が受けられるか、相談していました。
そこから、支援を受けるために何をすれば良いのかを聞いて。
①ばーちゃんの住所変更
②千葉での介護センターの人と家族の話し合い
③こちらで利用したいと思う介護センターへの見学
1ヶ月があっという間、最初連絡の取れなかったゆりえ姉さんにも電話が繋がって、千葉から必要書類も届き
何とか、DAYに行ってもらえる手続きが済んだのは7月半ばの頃でした。
デイサービスを利用できると決まってからも
デイサービスの利用が決まってからも、ばーちゃんの混乱は治らず、前の日には、行くって言ってくれてたデイサービス(ラガール)も、当時には、行かん。
なんとか、担当さんと打ち合わせて
ばーちゃん、とめ子はこの人と、デイサービスに遊びに行くけどばーちゃんお留守番で良いの?
とか言って小芝居しながら、何とかして連れて行くも、私が、先に帰ったりすると
途端に不機嫌になり、屁理屈につぐ屁理屈。1週間くらいで、なんとかなると思ってた、ラガールの方達も
精神的な問題があるから、1度病院で診てもらわないと、この状態では預かれない。って言われました。
行かんと言ってたばーちゃんが病院へ
病院も、頑なに行かん。「ばーちゃん、どこも悪くない。ばーちゃん、ボケ扱いするのか?お前らが、ばーちゃんぼけさせてる」って、何言っても、動かなかったばーちゃんが、
ばーちゃん、とめ子のお母さんが病院入院してるから、一緒に見舞いに行ってくれる?
て言うと、一緒について来てくれ、その後は、少し嫌がりながらも、病院の診察受ける事が出来ました。
診察の結果は『アルツハイマー重度』
診断の結果を聞いてばーちゃんは、病気を受け止めてくれたのか、大人しく、静かになりました。
その後、薬の効果か、デイサービスに行く時もご機嫌さんで出かける様になりました。
本当に、病院に行って良かったと思います。ただ、私が思うには、ばーちゃん自身が一番異変に気づいてて、どうしようもない状態でいたんじゃないのかと考えます。だから、戸惑いながらも、私の嘘や、小芝居に付き合ってくれて病院の検査を受けてくれたんだと思ってるんです。
最後に
それからも、すったもんだ有りましたが、最初に思ってた認知症に対しての思い込みから随分180度考えが変わりました。最初の頃、追い込まれて、どうする事も出来なくなった頃、昔、父が義母に言っていた「ばーちゃん、ここに居たら良いねん」を思い出しました。
ばーちゃんが「帰る。」って言う言葉に売り言葉に買い言葉の「帰れば良いやん。」から
「ばーちゃんの家はここやで、ばーちゃんはここに居たら良いねん。ずっと一緒に居ようや」に変えていきました。
すると自然に上手くいく方向に、要は、相手の立場で考える。今では、ばーちゃんに来てもらって、感謝なんですよ。
まー主人は、まだ、本気で親子喧嘩して「帰れ、帰れ」って言うこともありますが、親子なので、そういうやりとりも思い出になって行くのかな。って思って見守っています。
最後まで、読んでいただきありがとうございます。
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