88歳の父は、認知症の症状は出ていたものの、しっかり食べて、よく喋り、よく笑う人でした。
まだまだ、長生きしてくれそうだと、家族みんなが思っていた。
だけど、その時は、突然やってきました。
終末期の医療を考えてはいたものの、どこか他人事に思っていた私たちが、
体験した「動けない100kgの体重の父」を、預けられる病院に辿り着くまでのお話しです。
まだ、まだ、と思われてる方に、私の体験を通して、いざ、その時に自分たちが困らないように
自分ごととして聞いてもらえたら嬉しいです。

高齢者の終末期の経口摂取の工夫などは、健康長寿ネットから、「食べたいものを一口サイズにカットする」
また、とろみ剤を使う。等があります。
父ちゃん、なんかおかしい──でも医療は動かなかった
ある朝、「担当のケアースタッフがコロナに感染していました」と電話が掛かってきました。
父ちゃんも、検査の結果、コロナ陽性。
自宅で様子を見ていましたが、入院しましょう。
ということになって、A病院で療養後、1週間Bショートステイを経て、2週間後の今日戻ってきてるはずでした。
玄関で最初に見た光景に息を呑む
その日、最初に目にしたのは、母と叔母、そして弟が、玄関先で息を切らして倒れ込んでいる姿だった。

え〜ー、どうしたん?
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朝、O泌尿器科に、父ちゃんを連れて行ったんよ。
?????…..。

え、父ちゃん、今日退院だって言ってなかった?
母の話では、ショートステイから自宅に戻る途中、かかりつけの泌尿器科(父ちゃんの前立腺がんを見てくれてる病院)によって、おしっこが出ない症状を見てもらい、一旦自宅に戻ったけど、
結局、その後もおしっこが出ない状態は続き、
ケアマネさんのアドバイスで救急車を呼んで、C病院に運ばれたそうです。
不調の原因が知りたい、それなのに….

それで、どうしたの?
でも――
そのあとの話が、衝撃でした。
「父ちゃんには尿道カテーテルを入れてくれたけどね、検査もせんと、“大きな異常はないので、お帰りください”って言われたんよ」
仕方がないので、介護タクシーで自宅まで帰ってきたそうです。
ところが、玄関に着いた父ちゃんは、そこから一歩も動けなかった。
小柄な母と叔母、そして弟の3人がかりで、父ちゃんの大きな身体をなんとか支え、ほとんど倒れ込むようにして、やっとベッドまで運んだそうです。
*介護タクシーについて、こちらの記事『父の最後の移動を支えてくれた”介護タクシー”』も合わせて読んで下さい。

介護って、気持ちだけじゃ乗り越えられない!
“体力の限界”は、思ったより早く、静かにやってくる。
しかもそれは、ある日突然——。
私はその日、
「限界は、もう目の前にある気がした」
やっと“診てもらえる”と思ったのに──父ちゃん、余命2日
その日から、私がお母さん達に変わり「父ちゃんの介護」をする事にしました。
何度もケアマネさんと連絡をとりあい、病院ともかけ合いました。
しかし、高齢で認知症のある父ちゃんに適切な医療を受けさせることへの困難さを実感する事になりました。
その後も、食事を摂ることも、水を飲むことも出来なかった父ちゃん。

このまま、ほっておいたらだめだ!
そう思って、救急車を呼びました。
父ちゃんが、家に戻って、1週間後の事でした。
父ちゃんの体は、もう着陸態勢に入っていた
父ちゃんが処置室に入って、どれくらい経っただろう。
時計を見る気にもなれず、ただ、呼ばれるのを待っていた。
ふと、弟がポツリとつぶやいた。

希望、持っても…もうダメかもしれん

そんな事ないから!
私は、思わず声を上げていた。
そのとき、奥から担当のお医者さんが出てきて、

腎臓もかなり弱ってて、脱水症状も起きてるので、入院しましょう
弟と顔を見合わせてホッと胸を撫で下ろしました。
というのも、それまで――
診てくれるお医者さんは見つからず、ベッドで苦しそうに呻く父ちゃんのそばで、母たちは何日も一睡もできない夜を過ごしていたからです。
思いもしなかった父の余命宣告
その後医師は、父の状態を飛行機に例えて丁寧に説明してくれた。
「残念ながら、(父ちゃん)さんは、持ってあと、2、3日です」
「高齢者の体って、低空飛行で飛んでるようなものなんです。だから、ほんの小さな感染症でも、墜落してしまうことがあるんです」

今後の治療方針ですが、どうされますか?
私は弟と顔を見合わして言いました。

父は、今まで精一杯頑張りました。もう、十分です。
「負担のかかるような検査は無くして、苦しまないようにしてあげてください」
そこまで、言った所で涙が溢れて止まらなくなりました。
父親を看取って、感じたことは
父ちゃんを見送ったあと、私の胸に残ったのは「後悔」でした。
なぜ、もっと早くに親の介護に関わらなかったのか、と。
父の介護は母親がやっていたので、そんなにお父さんの状態が悪くなっていた事に気づきませんでした。
母親も歳をとって、認知機能も下がっていたので、大切なことを決断できなくなっていました。
後から知ったのですが、父のかかりつけ医は、「父の介護度を上げて、施設も探した方が良い」と助言していたそうです。
しかし、母は、介護費が上がることを心配して現状維持を続けた結果、今回の『ムリな介護』になって家族は疲弊することに。
最後、救急医療に繋げれたことは良かったけど
「これで良かったのか」
いくら考えても答えは出ません。
父の最期に正解は見つかりませんが、その経験があったからこそ、今は母の暮らしを守るために制度や仕組みを学ぶことができています。
これからは後悔ではなく、学びを力に変えて歩んでいきたいと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
三段腹トメ子