こんにちは、三段腹トメ子です。
このページでは、私と一緒に暮らす「認知症の義母」と「脳腫瘍の実母」との、毎日の介護生活を日記がわりに記録していきます。
ただし、三段腹トメ子は私の実体験を元にしていますが、話を面白くするために、少し脚色している部分もあります。どうかその点はご理解ください。
さて、それまで夫婦ふたりの気ままな生活だった我が家に、突然やってきた「W介護ライフ」。
いきなり始まった認知症介護は、なんとディズニーランドに遊びに行った日からスタートしました。
*このページは「更新型」の日記です。私の介護生活とともに、少しずつ成長していきます。ときどきのぞいていただけると嬉しいです。
*介護施設の方には、大変良くしてもらっています。
これはあくまで、私自身の気持ちを整理するための日記です。
文章の中には、戸惑いや本音も混ざっていますが、施設やスタッフさんへの感謝の気持ちは、変わりません。
【2025年7月9日】
ばあちゃん、今の施設から特別養護老人ホームへ|主人の気持ちもわかるけど
ばあちゃんが小規模多機能施設で、ロングお泊まりに行ってから、主人はずっと落ち込んでいます。
「もっと自分にできることがあったんじゃないか」
「母親なのに、任せてしまっていいのか」
そんなふうに感じているんだと思います。
昨日、介護申請が通って、介護保険被保険者証が届きました。
要介護2⇨要介護3
なので、それを持って施設のケアマネさんに持って行きました。
正直、ここだけの話ですが、
ばあちゃんが今いる小規模多機能型施設を選んだのは、
デイサービスからグループホーム、特養まで——
ここなら最後まで移動しなくて済むかもしれない、そう思ったからです。
介護の流れも、
在宅→お泊まり→グループホーム→特養
と、少しずつ段階を踏んで、
ばあちゃんの資産を守りながら…と思っていました。
だけど、ケアマネさんから言われたのは、
「他の施設の見学を自分で電話して探してください。」
え?
なんで?
思わず心の中で、つぶやいてしまいました。
費用のこと?
それとも、ばあちゃんの状態のこと?
きっと理由はあるんだろうけど——
もう少し、丁寧に説明してほしかったです。
その場で、主人は黙っていました。
だから、私も——
これ以上、出しゃばらない方がいいような気がして、
黙るしかありませんでした。
ほんの少しだけ、心にモヤモヤが残っています。
だけど、今は静かに、流れに任せるしかないのかもしれません。
※これは私自身の感じたことや心の記録です。すべての施設やケアマネさんに当てはまるわけではありません。
【2025年6月初め】
ばあちゃん、ショートステイにお泊まり、そのままロングへ|もう一緒に住めない
6月のはじめ。
ばあちゃんの排泄のことが気になりだした。
正直、それが一番の心配やった。
——というのも、前に従姉妹から聞いてたから。
「認知症のお母さんが、汚れた手で部屋中を触るから、気づいたらすごい匂いになってて、本当に大変だった」
そう話してたのが、ずっと頭に残ってた。
「今は良くても、いずれそうなったら、どうする?」
その言葉がずっと消えへんかった。
ばあちゃんが来てから、持ってきてたパンツは、汚れるたびに捨てられて、一年で5枚買い直した。
汚れたおむつを置いたのは私のせいだと言われた時、心の中で何かが弾けた
ばあちゃんに、「お腹が緩い時、紙パンツ、尿とりパット使って欲しい」「ここに来てからも何度かパンツ汚してるよ」
何度も、ばあちゃんに頭を下げたけど、「そんなん、いらん。お前はおかしい事言ってる」
何度も便秘になるので、薬も出してるし、それでも出ないから浣腸もしてもらって、汚すからと尿取りパットを入れていた。
だけど、そのパットも知らない間に外されて、訪ねても
「何、おかしい事を言ってるんや。ばあちゃんの事を馬鹿にしてるんか!」
しまいには、汚れたおむつは、「私と母がばあちゃんの部屋に置いて嫌がらせをして」とまで言われた。
もう、一緒に暮らすのは無理だと思いました。
【2024年7月19日】
診断結果はアルツハイマー型認知症。それも重度の
今日は、ばあちゃんのMRI予約の日。
ここ数日で、私は、ばあちゃんに嘘をついて連れていくことは難しいなーって感じていました。
そこで、「ばあちゃん、前に脳神経外科を受信していて、今日は検査の日なんだよ」
と本当の事言って連れて行こうとしましたが、
ばあちゃんは「行かへん。どっこも悪くない」の一点張り。
実は、今日でパートを辞める日でした。
「じゃあ、仕事行ってくる」
ばあちゃんが病院に行かないなら、仕事に行こうと思い、車の所に行こうとして立ち止まった。
家に引き返して、もう一度、ばあちゃんに尋ねる。
「本当に、病院に行かんのやね」
すると「お前らが、行け。言うから行ったるわ。どうせ、どっこも悪くないけどな」
主人がまた、「そこまで、言われるんだったら行かんでいい」
なんで・・・・・・
「ハイハイ、じゃあ、荷物持って移動しましょう。」
擦ったもんだしましたが、MRIの検査を受けたばあちゃんの診断は『アルツハイマー重度の認知症』です。「遅らせる薬はありますが、ここまで進んでいたら、どうする事もできません。」
横で、静かにお医者さんの話を聞いていたばあちゃんは、しばらく、口数が減って、落ち込んでるようでしたが、
車が、「さわだ屋」について、お昼の定食を食べ終わる頃には、病院に行った事も忘れているみたいでした。
お薬の処方箋を頂きましたが、その後もばあちゃんの興奮は収まらない。
後で受診した別のお医者さんに「これは、アルツハイマーを遅らせる薬です」「今のばあちゃんは、反対の興奮を抑える薬でないと逆に元気になってしまいます」
「なんで!」そう思いましたが、高齢者の認知症には、病院の先生も対処のしようもない。
結果、あまり真剣には見てもらえないんだ。って事を、父の時も今回も
【2024年7月3日】
ばあちゃんを病院へ、〇〇脳神経外科
あれだけ、嫌がっていた病院にばあちゃんが行ってくれた。
千葉では、どうしても連れていくことが出来なかった病院
ばあちゃんが、「お前らが、どうしても行ってほしい。って言うなら行ってやってもええで」
心の中で「よっしゃ」
それなのに主人は「そこまで言うなら、行かんでもええ」
(汗)『なんで、そんな事を言うん』心の声
なんとか、受信させることが出来ればと受付で聞いてみる。
「一緒に住んでいる、ばあちゃんの様子が明らかにおかしいんです。
なんとか、ここまで連れてこれて、予約とか無いんですが、見てもらえませんか?」
受付の方が、ばあちゃんの方をチラッと見て、「少し待ってもらったら大丈夫ですよ」
この、診察が始まるまでが長い。
ソワソワして、立ち上がるばあちゃん。
「もう、帰ろ。ばあちゃん、どっこも悪ない。なんで、こんな所来てるんや?」
私が側にいたら、ややこしい。そう感じて、裏から、表のベンチに出ていく。
スマホをいじりながら時間だけが過ぎていく。
思ってたより早く名前を呼んでもらった。
お医者さんが「血液検査しましょうね。それと、MRIの予約取って帰ってください」淡々と
ばあちゃんは、「なんや」と言ってたけど、今日は、これで帰りました。
外に出ると、まだ雨は降っていて
『予約は取れたけど、連れていく事ができるんだろうか』心の中で呟いていました。
【2024年6月29日】
ばあちゃん、日傘を取りに出ていく💦
昨日も、ばあちゃんが騒ぎ出して主人が大声で怒鳴ってするから、
「散歩でも行こうか?」とばあちゃんに声をかけた。
財布も持って出なかったけど、ばあちゃんの手には、いつもの日傘。
しばらく、公園のベンチに座りおしゃべり
「あの子は、なんであんなに怒鳴るんや?」不思議そうに、でも悲しげな横顔。
でも、ちょっとしたら立ち上がってソワソワしてたから、知り合いのカラオケ喫茶『夢』のママにばあちゃんを預けて財布を取りに家に帰る。
主人も、その頃には落ち着いていて、
「なんで、夢に言ったんや」って言いながら、ついてきた。
そして、3人でカラオケ!
主人とばあちゃんが「大阪しぐれ」を仲良く歌っていました。
朝になって、日傘を忘れていたことを思い出したけど、
「後でいいや」て思ってほってたら、夕方になってばあちゃんが、
「日傘、ないんやけど、どこにいったんかな」
私もつい。「きのう言ったカラオケ喫茶で置いてきてしまった」「後で、取りに行くから」
そう言ってるのに「ばあちゃんが取りに行ってくる」
思わず「じゃあ、言ってくれば」
出て行ったきり帰ってこない。
主人と私。そしてお母さんで探しに行くと、
なんと、カラオケ喫茶の前あたりで発見しました。
「へー、ばあちゃんって結構、道覚えてたりするんだー」
【2024年6月26日】
ばあちゃんの転居届、無事に受理
ばあちゃんが自分で転居届け出しに行くことは、難しい。
明石に来てから、異常な言動、行動を繰り返し、昨日も、一階の家のインターホンを全て押して行った。
ある意味、ばあちゃん行動力あるなー。
なんて感心している場合じゃない。
この転居届け受理してもらわないと、明石での介護サービスを受け図楽なる。
ばあちゃんは在日で認知症で、年金も少ない。
一度ミスると、また1からになる。
その事がわかってくれている市の職員さんが、書類に不備が無いか、凄く丁寧に手続きを進めてくれた。
(主人は事の重大さに気づいてなかった)
「今日は、さとるにばあちゃん見てて貰ってた」
帰ってきたら、マンションのエントランスで叫んでる、さとるとばあちゃん….。
ため息「ふー….。」
【2024年6月25日】
実母()手術
病院に着いたのは11時、中々手術は始まらない。
弟が「こんなもん。こんなもんさ。いつも、ほったらかしの刑」
手術は始まったみたいだけど、モニターを見るのは勘弁してくれ。
弟「お父さんは、前の時、モニターずっと見てた。俺は勘弁してくれって思ったけどな」
そして、夕方6時やっと終了。先生の説明
先生「大体、取れる部分は取れました」「あとは、様子見ながら、この手の腫瘍は、大きくなることがあるんですがひとまず成功です」
お母さんも80過ぎて、今回、カテーテルの検査とかしんどかったやろ。
まー、出来るだけのことは、してあげたいなー
【2024年6月21日】
実母()の入院(病名は脳腫瘍)
昨日、お母さんを〇〇脳神経外科に付き添って入院手続きを弟と一緒に行ってきました。
主人は、ばあちゃんが居るので従姉妹の林檎ちゃんにお願いして
2年前にお父さんが亡くなって、少し立った頃、お母さんが自宅で滑って頭打って
その時は、救急車なんて大袈裟かな。とも思ったけど、その時運ばれた病院で今回の脳腫瘍が見つかる
半年に一度、みてもらってたら、この間の検査で、ちょっと大きくなってきてたから、この度の入院で手術することになった。
あの時、救急車呼ばないで、様子見ていたら・・・。
ばあちゃんが来て、お母さんも頭に爆弾抱えてて、弟は、お酒辞めれたのかしら?
ほんと、これからどうなっていくのだろう。
【2024年6月20日】
義姉からの第一声「なんで、あんたがひろみの電話に出るんや」
今日、義姉から電話があった。
第一声が「なんで、あんたがひろみの電話に出るんや!」でした。
地域包括センターからは、「ご家族でばあちゃんをどう見るか。話し合って下さい」と言われていたから、
何度も電話かけても繋がらない義姉にどうしたものかと思っていたら、
第一声が、これでした。「困ってない、大丈夫」そういう言葉は一言も出ませんでした。

私が、電話出ないって、あんたが言ったんか。
ばあちゃんが、通っていた千葉のデイサービスに私が電話してたので、責められてると勘違いしてたのでしょう。
でも、ちょっと、それはないって感じでしょ。
ばあちゃんが来て、毎日、夕方になったら「帰る、帰る」
財布、自分で隠しては「財布どこに隠したんや」
主人は怒鳴りまくってるし、ばあちゃんは泣きながら「お前ら、ばあちゃん殴るなら殴れ!」
それでも、自分がキレたら終わりだと、冷静に動いていたんだけどね。
ほんと、私って人が良いと思うよ(苦笑い)
【2024年6月19日】
トメ子、仕事に行く
今日は、主人が仕事休みだったので、私は仕事にいく事にしました。

とりあえず、職場に行って今の状況を説明しないとダメかな
今後、どうなるかは分からないけど「とりあえず、3週間預かって欲しい」と言われた言葉を、信じるしかなかった。
帰ったら、大声で叫ぶ主人とばあちゃんがいました。
本当に、本当に、これからどうなってしまうんだろう。
【2024年6月18日】
地域包括に電話
結局、昨日は地域包括センターに電話をして、今の状況を説明しました。
近所の民生委員の人にも連絡して、「早急にどうにかしましょう。」と言ってもらえた。
どうして、直ぐに動けたのか、自分でもわからなかったけど、
なぜか、「早く動かないと大変なことになる」と言うことだけは感情でわかっていました。
主人も民生委員の人に話を聞いてもらい「よくわかる介護保険」の冊子と連絡先を聞いてきてくれました。
明日から仕事なのにどうしよう(汗)
【2024年6月17日】
落ち着かない、ばあちゃん「ゆりえ、どこ行った」
昨日、ばあちゃん連れて家に帰ってきた。
夜は、そのまま寝てくれたけど、朝、起きたら

ゆりえはどこ行ったんや?
「ばあちゃん置いて、あの女はどこ行った!」

ばあちゃん、ここは明石。
「ゆりえは千葉に居て、ばあちゃんだけがここに来てるの・・さとると主人と私で、新幹線に乗って、千葉までは6時間は掛かるんよ」
ばあちゃんに、1から、何故ここに居るのかを説明していくと、落ち着いてきて。
でも、お昼回って、暗くなってくるとそわそわしてきて、
「ばあちゃん、帰らなあかん。あの女はどうしたんや!なんで、ばあちゃん置いて行ったんや」
こうなったら、何を言っても聞きません。
結局、ボストンバックを抱えた主人が駅まで歩いて行って、でも、結局途中まで行って戻ってきました。
ほんと、これからどうなってしまうんだろう。
【2024年6月16日】
ばあちゃんの記憶失うーー思った以上
朝、ばあちゃんが「明石に一緒にくる」と言いました。
この何日間、行く。行かない。を言い続けていましたが、
ゆりえ姉さんに「引っ越す3週間だけ、ひろみの家に遊びに行っておいで」と言われて来る気になったみたい。
新幹線に乗る時には、駅まで送ってくれたゆり子の事を忘れて

ばあちゃん、何も言わずに出てきた。ゆり子、心配していないかな?
そして、明石の駅に着く頃には、
「ばあちゃん、今日、帰れるんか?」
これから、どうなっていくんだろう(ーー
【2024年6月15日】
ばあちゃん…かなりボケちゃってるなー
昨日もホテルに泊まったけど、今日も義姉(ゆりえ)の家に泊まるのは……正直、もうイヤだった。
ふと思い出したのが、日付を間違えて最初に取ってしまった、あのホテル。
「今日はそこに泊まるわ」って言ったら、主人も「俺もそうする」とか言い出した。
なに言ってんの、この男は!
「自分の兄弟やん。親やん。ばあちゃん、どうするのかって話、まだ全然終わってないのに……」
……そう思ったけど、口には出さなかった。
ばあちゃんの認知症は、もうかなり進んでる。
初日に同じ部屋で寝かされた時も、部屋は蒸し風呂状態。
私と主人が「暑いから窓を開けて」って何度言っても、
「寒いやろ、寒いやろ」って、ばあちゃんはすぐ閉めてしまう。
でも、言い方が不思議だった。
「寒いから閉めたい」って言えばいいのに、そうは言わない。
なんだか、自分の気持ちじゃなくて、誰か“寒いかもしれない人”のことを代弁してるようで……。
ああ、ばあちゃん……やっぱり、かなりボケちゃってるなあ、って思った。
【2024年6月14日】
最悪で、最高だったディズニー
68歳の主人と行ったディズニーランド。
この日の思い出を一言で言うなら、「最悪で楽しかった」。
平日を選んだのは、少しでも空いてると思ったから。
でも実際は、6月でいちばん混んだ金曜日だった。
もともと人混みが大の苦手な主人。
昼過ぎくらいまではなんとか我慢していたけど、午後3時を過ぎた頃、ついに爆発した。
「だから、わしは人混み嫌いやって言ったやろ!」
ふだんは11歳年上で、滅多に怒らない穏やかな人。
その主人が、いきなりキレた。
でもね、そもそも…
ばあちゃん(義母)の所に一人で行きたくなかったのは、あなたでしょ?
私に「ディズニーに連れてってやるから一緒に来て」と言ったのも、あなたでしょ?
その瞬間、私は思ったの。
「ああ、この人、今ちょっと壊れそうなんだ」って。
今までとは違う、別の主人の顔を見た気がした。
【2024年6月13日】
限界だった私——始まりの前日
前の日は、仕事が溜まっていて、寝たのは明け方の3時。
その数時間後には、新幹線で3時間の移動。
ばあちゃん(義母)の住む、義姉の家に着いた頃には、私はもうヘロヘロでした。
到着してすぐ、リビングの床に倒れ込むようにして、そのまま寝てしまっていた私。
横で、義姉が主人に何か話していたけれど、もう、何も聞こえない。聞く余裕もない。
「ここから介護が始まる」なんて、このときの私は思ってもいませんでした。
ただ、眠くて、体が重くて、心がちょっとざわざわしていて。
これが、私の**“W介護生活”**の、静かな前夜でした。