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あの日、確かにあった”認知症が進む前、家族の笑顔”

母と暮らす

本当のとこ、

義母は――

義姉の家で一生を終えたかったのかもしれません。

だけど、忘れいく自分の変化と、少しずつ疲れていく家族の様子を、きっとどこかで感じていたんだと思います。

そんな中で、私が言ったひとこと。

トメ子
トメ子

「ばあちゃん、うちに来る?」

そうして始まった、息子との一年間。
ばあちゃんはその時間を、そこそこ楽しんでくれたようでした。

そして昨日――
あれほど嫌がっていたショートステイに、自分の足で向かってくれました。

今は、ロング(長期)に切り替え、施設入所を目指して動いています。

これは、そんなばあちゃんと、その家族の時間を描いたエッセイです。

よかったら、最後まで読んでもらえると嬉しいです。

”認知症”が家族の関係を変えていった

主人
主人

「ディズニーに連れてったるから」

そんな言葉につられて、美希は、主人の義姉の家に遊びに行くことにしました。

昔から、兄弟の中でも義姉は、義母にとって一番心を許せる存在

義母が一人で暮らすのを心配して、義姉は数年前から同居を始めていました。

慣れた土地を離れての暮らし――
それでも、義母は義姉の声に応え、「娘と暮らす」という選択をしていたのだと思います。

あの時は「ばあちゃん、ここにいる事を望んでいる」と思った

義姉
義姉

「夜は豚でいい?」

義姉は笑いながら台所に立っていて、

ばーちゃん
ばーちゃん

「明日はゴミの日だろ」

と言いながら、部屋の中を、ばあちゃんはうろうろしていた。

甥っ子たちはテーブルを囲みながら、「今日はばあちゃん、ほんとよく動くなー」って笑っている。

みんなで、豆苗を豚で巻きながら、賑やかに食卓が進んでいく。

2年前に義姉の家を訪ねたときの、家族の風景。

そこから、2年後….。

2年前の笑顔の空間は、少しずつ形を変えていきました。

義姉は、義母を支えようとして転倒しかけたときに、胸の骨を折ってしまいました。

それでも、痛みをこらえながら家事をこなし、義母を気づかい続けていたそうです。

甥っ子たちも、それぞれに抱えるものが増えていて、介護は、少しずつ生活の重荷になっていった。

そして、義母は88歳になり、米寿を迎えたけど、その間も認知症は、静かに、でも確実に進行して

ある日、義姉が、やさしく問いかけた。

義姉
義姉

「さっき薬飲んだやろ?」

ばーちゃん
ばーちゃん

「いや、飲んでないよ」

と、義母は言い張る。

そんなある日――
目を離したすきに、薬を一度に5つ飲んでしまった。

家族は驚き、すぐに病院に連れていった。

幸い、大事には至らなかったけれど、その日を境に、薬の袋は義母の手元から取り上げられた。

代わりに始まったのは、1日に何度も、

ばーちゃん
ばーちゃん

「財布どこ行った?」

「通帳、見せろ!」

家族が説明しても、忘れる。

説明しても、また聞かれる。

みんなが、少しずつ「笑えなくなる日」が増えていった。

ばあちゃんの気持ち「もうここには居られへん」

あの日、ディズニーにつられて訪ねた義姉の家は、もう、介護の限界を迎えていました。

中でも――
ばあちゃん自身が、どこかでこう思っていたのかもしれません。

「もう、娘のところには居られへん」

口に出すことはなかったけれど、忘れていく脳の奥で、自分の変化と、家族の疲れに気づいていたんじゃないかと。

そう、私は思うんです。

認知症になっても、全部がわからなくなるわけじゃない

認知症になったからといって、すべてがわからなくなるわけじゃないんです。

ばあちゃんと一緒に暮らした、この1年間でそれを強く感じました。

🟦混乱期

最初の頃は、何をどう説明してもすぐに忘れてしまい、
何度も怒って、何度も泣かれて。
こっちも泣きたくなるような日々の繰り返しでした。

🟦安定期

でもある時から、ばあちゃんは少しずつ慣れていきました。
家の中でのルーティンも身についてきて、
好きなテレビ番組にはちゃんと笑って、
「ありがとう」と言ってくれる日も増えました。

🟦そして今

あれだけ拒んでいたショートステイに、自分の足で向かってくれたばあちゃんを見て、私は思います。

ばあちゃんは、ちゃんと“わかっていた”んだと。
今の自分が、どこにいて、どう過ごすべきかを。

それは、「記憶」じゃなくて、「感覚」として残っていたのかもしれません。

介護をしていると、できなくなったことばかりに目がいきます。

でも、ばあちゃんが教えてくれたのは、“まだ残っていること”に目を向けることの大切さでした。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

三段腹トメ子

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