トメ子さんのお義母さんは、今年89歳。
娘さんと一緒に暮らしていましたが、認知症になって、介護のバトンは娘さんからトメ子さんが引き継ぎました。
親の認知症は、思った以上に、家族に影響を与えます。
身体の負担はもちろん、精神的にも追い詰められますし
責任の重さは、家族の間でも違ってきます。
今回は、トメ子さんの経験談を聞いて、今の間に「自分だったら」を考えるキッカケになれば幸いです。
親の変化に気づくタイミングは人それぞれ
ここからは、認知症になったお義母様の介護の経験をトメ子さんに、当時を振り返りながらインタビュー方式で紹介していきたいと思います。
認知症と物忘れは違う(私が気づいた瞬間)

お義母様が少しおかしいかも、 と気づいたのはいつですか?

5年前です。きっかけは、お義母さん から かかってきた一本の電話でした。
スーパで買い物が終わって、車に乗り込もうとした時、隣にいた主人の電話がなりました。
主人「きっと、お袋だろう」
しばらく、親子の会話が続いたあと、いつものように私に電話が回ってきました。
義母「みんな元気にしてるか?お父さん、お母さんもかわりないか?」
….!!!
トメ子「…お父さんはこの前亡くなって、葬式も終わりました」
義母「え、何も聞いてないよ。大変やったね」
実は、その葬式は一週間前のことで、お義母さん からお香典も頂いていて、その時、電話でも話しています。
それなのに….
義母「知らなかったから、お香典も送らずにごめんね」
隣にいた主人が、すぐに口をはさみました。
「お袋、香典はわしが立て替えて渡したから心配せんでいいよ」
しばらく、会話が続いたあと
義母「今日はええ天気やわ〜。そっちも晴れてるか? ところで、トメちゃんのお父さん、お母さんは元気か?」

その言葉を聞いて、どう思われましたか?

頭の中で、『認知症』の3文字が浮かんできました

その後、どう行動されたんです?

帰ってから、主人の姉(お義母さんと同居している)ゆりえ姉さんに電話しました
近くに居るから、気づきにくかった?
お義母さんの様子が少し気になって、家に戻ってから、ゆりえ姉さんに電話をしました。
トメ子「もしもし、姉さん、トメ子です。
さっきお義母さんから電話があって、ちょっと様子が変だったけど、大丈夫?」
ゆりえ「うん、最近ちょっと物忘れが増えたけど、いつもこんな感じよ。それに、母さんって昔から、私たちが何か言うと怒るでしょ」
「今は、私が気をつけておけば済むことだから、心配しなくていいって」
一緒に住んでない私が、これ以上母娘のあいだに踏み込むことはできませんでした。

その時、どんなお気持ちでしたか?

近くに住んでいなかったのもあるし、『母親』と言っても、義理なんで こう以上はなんとも、って感じでした。

それだけですか?

はい、まだ、この時点では他人事でした。
でも、心の隅では、『もしかしたら自分に介護のバトンが回ってくるかも』って、そんな予感だけは、どこかにありました。
介護のバトンは、ゆりえから私に

それで、なぜトメ子さんがお義母様の介護をすることに?

それが、行き当たりばったりで…
少し笑ってから、思い出すように続けた。

ディズニーランドに遊びに行った ついでに実家に寄ったら、お義母さん を関西の自宅に連れて帰ることになっちゃって(笑)

え、それは…よく決断されましたね
トメ子「皆さんに、そう言われます」

でも、その時は“決断”なんて感じじゃなく、ただ、ゆりえ姉さんの家族が限界を超えてるのがわかってたから、見過ごせなかっただけです。
「….あれです。なんか勢いみたいなのもありました。(笑)」
お義母さんは昔から小言が多く、同じことを何度も繰り返すので、子供達は、そういう所を嫌がっていました。認知症になってからは、それがさらに強く出ていました。
朝、新幹線に乗って、昼過ぎにはゆりえ姉さんの家につきました。
主人「お袋、姉ちゃん、遊びに来たよ」
部屋には、ゆりえ姉さん が一人テレビを見ながら振り返ります
主人「お袋は?どこ?」
ゆりえ「ばあちゃんは、今デイサービスに行ってる」
この時、お義母さんを週4日デイサービスに通わせながら、ゆりえは、在宅介護を続けていました。
けれど、一緒に住む息子たちは次第に「ばあちゃん、施設に入れなあかん」って言うようになり
ゆりえも、息子たちと母親の板挟みで、どうしたらいいのか悩んでいました。
その日の夕方お風呂に行った帰りに甥っ子から
「おっちゃん、ばあちゃん連れて帰って欲しい」と頼まれました。
だけど、その時、お義母さんは「絶対、ここから動かない」って言ってたんです。
それでも、話を続けてると
「ひろみ(主人)のところに行く」
と言ったり
「行かない」
と言ったり

その時、お義母様も迷っていられたんですね

そうだと思います。
「娘と一緒にいたい。だけど、このまま自分がここに居たらこの子たちがダメになってしまう」
「忘れてしまうから、周りには変に見えても、お義母さんなりに必死だったと思います」

それでも、お義母様はトメ子さんについて来た。決め手はなんだったんだと思いますか?

ゆりえ姉さんの『しばらく、ひろみの所に遊びに行っておいで』という言葉と、私の『一緒に住んでも良いよ。とりあえず、一緒に行こう』と迷いなく言えた言葉だと思います
トメ子さんは、そう言ってアイスコーヒを口にしながら
「ですが、勢いだけで認知症のお義母さんを連れて来てしまって、色々問題もありました」
同じ家族でも、見えている景色は違う

家族の中で、誰かが弱っていくとき一番つらいのは「何が正解かがわからない」ことかもしれません。
お義母さん、ゆりえ姉さん、そして私(トメ子)。
それぞれが違う立場で、違う想いを抱えていました。
ここでは、あの日の「心の揺れ方」を、三人それぞれの視点から振り返ってみます。
認知症を患ったお義母さんの本音とは

お義母さんは「認知症かも」と私たちが気づく前から、本当は気づいていたんじゃないのかと思ってます。
だからこそ、どうしていいかわからなくなり、娘たちには強がって「病院なんて行かんでいい」と言っていたのかもしれません。
だけど、孫たちは自分の事をうっとしがり、ときには邪険にするような態度もありました。
娘は、心配そうにしながらも、いつも疲れた顔をしている。
口では、以前のようなキツイ言い方をしていても、その奥には、不安や寂しさががあったんじゃないでしょうか。
介護を理由に逃げることへの抵抗感
ゆりえ姉さんは、「娘だから、親の面倒を見るのは当たり前。兄弟の中で、お母さんのことを一番理解しているのは私だし、頼りにされているから、少しくらい我慢すればいい」
そう思いながら、キャパオーバーになっていたんじゃないでしょうか。
私から見て、ゆりえ姉さんには、気持ちを話せる相手や、本音で相談できる友人が周りにいなかったように思います。
そして気づけば、家族は孤立していったのではないかと思います。
第3者として、心のままに動いた嫁の行動
トメ子さんは、3年前に父親を亡くしています。
その際にケアマネージャーとの関わりを通して、介護を『第3者の目』で見る経験をしていた。

確かに、認知症が進んでいるお義母さんと一緒に暮らせるのか、不安はありました。
「でも、ゆりえ姉さんの家に行くまでに、何度もシミュレーションしていたんです。」
そう語るトメ子さん。
突然の出来事ではあったが、彼女のまわりには相談できる家族がいて、頼れるケアマネージャーの存在もあった。
そのおかげか、「いざというとき、受け止める準備はできていたように思います」と振り返る。
編集後記:介護の始まりは静かに訪れる

突然と思われる認知症介護ですが、実際には、その前から静かに始まりのサインが現れています。
それに気づける人もいれば、気づけずに通り過ぎてしまう人もいる。
でも、どちらも間違いではありません。
トメ子さんのお話を聞いていると、介護の始まりは、特別な日に起こるものではなく、いつもの日常の中にそっと紛れているのだと感じました。
このあと、忘れてしまうお義母さんを連れての移動は、やはり想像していた通り、気を張る場面が多かったそうです。
乗り換えのタイミングや、切符をなくさないようにと、気をつけていた点はいくつもありました。
けれど、その一方で、意外なほどしっかりしているお義母さんの姿に驚かされたと トメ子さんは言います。
次章では、移動中は嬉しそうだったお義母様が、家に着いた途端不穏になり「帰りたい」と言い出した時の対応の仕方などをお伝えします。
ここまで読み進めて頂きありがとうございます。
【介護は自分一人が頑張らなくて良いんです。ここからは、民間の介護をサポートしてくれる会社を紹介します】
介護の始まりは、何も準備のできてないことが多いと思います。
まだ、公的な支援が受けれなくて家族だけでは整えきれない部分もありますよね。
そんな時『介護保険外サービスイチロウ』や『家事代行サービスCaSy』など、外部の力を借りることも検討されると良いんじゃないでしょうか?
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