こんにちは、三段腹トメ子です。
2025年1月、最初のばーちゃんのお言葉は、相変わらず「帰らにゃあかん」です。
ばーちゃん達が、しっかり年金納めてきてくれてたので、お金の心配が無いのも
祖母のゆっきーとの暮らしや、亡き父の「ここに居ったらええ!いつまでも長生きしてよ」そんな言葉で
落ち着いて自宅介護が出来ているんだと思います。
いつまでこの生活が続くか分かりませんが、今年も一年ばーちゃん共々よろしくお願いします

では、最初のばーちゃんの一言からどーぞ
2025年、ばーちゃんの最初の言葉は
ばーちゃん、一月最初の発言は

そんな事を言ってても、いつまでも死なないとどうするんや?

そんな事、聞かれても、こっちが聞きたいです(笑)
相変わらず、毎日毎日「帰る、帰らなあかん」「ここのゆりえは、何処に逃げたんや?」
大体、何処に帰りたいのかも分かってません(笑)

初めから、ゆりえは居ないよ。ここは明石で、ばーちゃんと主人の3人で暮らしてるんだよー
何回言っても、
暫くするとまた、おんなじ事を繰り返すばーちゃん
ほんま、いつまでこんな事続くんだ。
きっと、日本の何処かで、こういうやり取りしている家庭いっぱいあるんだろうなー😃
子供の時は、祖母に育てられました。
林檎ちゃんの天敵、ゆっきーは、私にしても、母方の祖母です。
私が長女だった事もあって、弟が生まれる時は、ゆっきーがお風呂に入れてくれました。
よっぽど気持ち良かったのでしょう。

後から親に、あんた、お風呂の中で〇〇しちゃったんだよ。って聞きました
子供だったんで、そんな事もあるかなーー(えへ)
物心ついた頃には、花見のシーズンの時に近くの公園で売店を出していたゆっきーが家に泊まりに来ていました。

春になると、弟と手を繋いで、ゆっきーの働く、売店に遊びに行きました😃
桜の木下で、貸しゴザを引いてもらい、お弁当、お菓子、カニ(山崎パン?)、冷凍みかん、ゆで卵
ゆっきーが「アイスは?」って聞きながら、アイスボックスからソフトクリームを取り出して、渡してくれました。
ゆっきーの仕事仲間もおばーちゃんだったので、自然とおばーちゃんに対して免力が付いてたんだと思います
小さい時から、おばーちゃんが家に居る生活は普段の風景でした。
突然始まった、ばーちゃんとの暮らしも、祖母との生活が役に立ってるんだと思います。
自宅介護も仕事だと思えば

同じ事の繰り返しに嫌になる事もあるけれど
元々、ゆっきーと暮らしてた経験があるので、少しずつですが、ばーちゃんとの暮らしも慣れてきました。
ばーちゃんとの暮らしも仕事と思えば、何とかなるか(笑)
ばーちゃん達が、必死で年金を納めてくれてたから
これもばーちゃん達に、ある程度の年金がなければ、こちらも、こんなに余裕ぶっこいてないのかな?
例え、家族であったとしてもお金を持っていなかったら、こうして、家でばーちゃん達を見る事は出来なかったと思います。
ばーちゃんが我が家に来て、少なくとも月に9万稼いでいたパートを辞めました。
今日も、ばーちゃんは「ゆりえ、どこ行ったんや?ここにおったはずやで」と困惑した顔で聞いてきます。
こちらも、ある程度心に余裕があるので、

ばーちゃん、ここは明石でゆりえは千葉におるよー
と、応えてあげれます。
そうでなかったら、家事して、介護して、仕事してって無理ですよ。
家事も仕事だと思ってやってると、色んな事に気付かされます😃
亡くなった父が母方の祖母に対して「ここにおったらええ。長生きしてよー」
祖母のゆっきーも90を過ぎてくると寝たきりになり、夜中に大きな声を出して手を叩いていました。
朝、早くから肉体労働をしていた父の事を尊敬します。
最後に
核家族化が進み、おじいちゃん、おばーちゃんと暮らした事が無い人が、
いつの間にか年老いた親が急にボケがはじまった。と、慌てるかも知れませんが、
昔から、祖母との暮らしが当たり前だった私には、ばーちゃんのボケは当たり前でした。
人はいつかは老いるものです。
必要以上にボケることを怖がらないように、私と一緒にいつかに備えて用意していきませんか?
お読み頂き、ありがとうございました。
三段腹トメ子
