皆さんに、こんにちは😆
『私が1番・あんたが2番楽しんで、ラクして、介護して』を実践中のとめ子です
今年も後少しですね。
今年は激動の1年でした。
まさか、2人のばーちゃんと同居するなんて😣
人間生きていると、幾つかのターニングポイントが有ると思いますが、今年は、まさに、そういう年だったんだと感じています。
林檎ちゃんとの思い出
私の子供時代は、よく癇癪を起こす子供で、思い通りにならなかったら、地べたを転下回って要求を通そーとしてました。(思いだすと、恥ずかしい)
そんな私を上手にコントロールして、おもちゃ売り場を回避しながら連れて来れる人物が、5個上の従姉妹の林檎ちゃんです(笑)
お母さんに聞いた話が、私がまだ赤ちゃんの頃、林檎ちゃんがホームまでの階段を、私をおんぶして駆け上がったそうです。(母の顔は青ざめ、林檎ちゃんは得意そうにしていたそうです)(笑)
林檎ちゃんは一人っ子だったので、私の事を本当の妹の様に可愛がってくれました。
おばーちゃん(ゆっきー)と両親の4人暮らしだったので、林檎ちゃんには、自分の部屋があり、自分の部屋に憧れていた私は、ある日、お泊まりする事にしました。
部屋にはたくさんの漫画が置いてあって、中でも『はだしのゲン』は衝撃的でした。
まだ、低学年位の私には、広島の街が原子爆弾で焼け落ち、人が、焦げた人形の様に道端に転がってる。そんな絵を見て、夜は眠る事ができませんでした。
林檎ちゃんの青春時代
林檎ちゃんも、高校生になると、好きなアイドルが出来て、友達達と追っかけ?やっていたみたいです。
お金もあまり無い、林檎ちゃんですが、生まれついての世渡り上手、口のうまさは天下一品で
どうしても、遊びに行きたいと、行きの切符だけで東京に行き、
帰りは、どうするんだろうと見ていたら、帰りは、入場券で新幹線のホームに入って、そのまま新幹線に乗り込み、駅員さんが来たらトイレに駆け込みながら、西明石まで帰って来れたらしいです。(その行動力半端ない(笑))
ただ、駅員さんに見つかり、ゆっきーが迎えに行く事に。(その後、雷が落ちた事は書かなくてもわかりますよね😙)
林檎ちゃんの天敵はゆっきーです。
今は亡くなった、ゆっきーの事を林檎ちゃんが、楽しそうに話してくれました。
いくらの私でもゆっきーには敵わなかった。ほんまに怖かったよー
「高校の時、裏のおばちゃんに小遣いもらった事や、家出して、住んでたアパートの住所、ゆっきー、みんな知ってたんやから(笑)」
おばーちゃんのゆっきーも凄いけど、林檎ちゃんの人生日記も凄すぎる(👀)
林檎ちゃんの介護時代
そんな林檎ちゃんも還暦を過ぎました。
両親も歳をとり、お父さんは車椅子。お母さんは認知症がひどくなりました。
その時は、地獄だったと話してくれます。
林檎ちゃんのお母さんはサッチーです。サッチーも、林檎ちゃんに負けず劣らずの口達者で、かなりの曲者。
認知症になったサッチーは、相変わらずの綺麗好きですが、ボケちゃってるので、自分の💩を部屋中に擦り付けちゃってたみたいです。(自分でなんとかしようとしていたみたい)
病院に入院させましたが、他の病室のカーテンを開けまくり、大声で、「この人、〇〇だー。ワハハー」
病院からは「出て行ってくれ」と言われて、結局、精神科の病院に連れて行く事に
車で「お母さん、〇〇さんの見舞いに行くから、一緒について来てくれる?」とか、何とか嘘ついて、
精神病棟のある病院に何とか入院出来たそうです。
(認知症の人は、勘がいい。少しでも、こちらが動揺してると勘付かれるので、どうしたら、目的を達成できるか?それだけを、考えて行動すると上手く行く気がします)
そんなサッチーも、2つ上のお父さんも去年亡くなった林檎ちゃんは、
お父さんの妹の叔母さん達の面倒を、よく見てくれています。
私のお母さんの事も、めっちゃ見てくれて、病院の送り迎えを頼むと快く引き受けてくれます。
私の憧れの林檎ちゃんは、今でも、行動力があり、慈愛に満ち溢れ、はっきり発言できる頼もしい存在です。
いつも、ありがとう
林檎ちゃん、ネタは結構あるので、思い出しながら、ちょっと手を加えて、面白エピソードに出来たら良いなー(笑)
まとめ
ばーちゃんは、アルツハイマーです。体が元気で口が達者、いつもは良いんだけど、何かの弾みで、ダークばーちゃんが顔を出します。
そんな時は、何を言っても、屁理屈で返され、どうすることも出来ません。
林檎ちゃんを見習って、明るく、口でも負けない(負けてあげてる)気持ちで立ち向かいたいと思います。
ここまで、読んで頂き、ありがとうございます。
🥁お話は、実話をもとにはしてますが、面白くするためのフィックションです🥁