
トメ子、今回のお話は何?

突然、認知症の義母(ばーちゃん)と暮らした1年間をインタビュー形式でまとめたの

ばーちゃんて、関東でお姉さんと暮らしていた人?

そう。だけど、88歳で認知症の症状が進んできたから、お姉さんの家では介護が難しくなって

話の前に、義母の半生と性格を少しだけ紹介させてね。
ばーちゃんの半生
ばーちゃんは、在日韓国人の2世として、昭和11年に九州の福岡で生まれました。
お母さんは、日本語があまり得意ではなかったそうですが、幼い頃のばーちゃんは、色白で小柄な近所の人気者でした。
16歳の時、親の勧めで19歳年上の男性と結婚。
翌年に長女を出産、年子で3人の子どもに恵まれました。
けれど、旦那さんの仕事は日雇いで、稼いだお金は飲み仲間と使ってしまうことも多かったとか。
それでも、ばーちゃんはあきらめませんでした。
食堂の仕事、土建屋の仕事、靴の工場など、働いて、働いて、子どもたちを高校まで通わせました。

へー、すごいね。

うん。だから私は、ばーちゃんのこと尊敬してるの
だけど、85歳を過ぎたころから、ばーちゃんに物忘れが目立つようになりました。
長い間ひとりで頑張ってきた人だからこそ、頑固で、少し疑い深いところもあって、自分の病気のことを、なかなか認められなかったんだと思います。
それでも、私のことだけは信じてくれました。
きっと、「正直に向き合おう」とする気持ちは、伝わるんですね。
この経験が、誰かの人生の選択のヒントになれたら、うれしいです。
介護を通して見えた“認知症の義母”の生き方
気楽に始めた親の介護は「数年前から……」
今回の介護の数年前に気づいていました。
義母からの電話は、「認知症かも?」と疑うのに、充分な内容だったから(笑)

東京駅の人混みを忘れる義母を連れて移動した記録
あの日から、しばらくして上の姉さんが、「ばあちゃん連れて(関東)私の家に遊びに来たらいいよ」と電話で
「ちょっと、もう、ごめんですよ」(笑)
介護始める前に、もっと兄弟で話ししてくれてたらよかったのにー。
まー良いけどね。

昼間の義母は穏やかなのに豹変していく夕暮れ時
一緒に暮らし始めて驚いたのは、昼間と夕方で義母の表情がまるで違うこと。
認知症の人によくある、夕暮れ症状だと後で知りました。
慣れない土地で、ばあちゃんも不安だったんだと思います。
日が傾きはじめると、「帰る」「帰らなあかん」が止まらなくなって……。

義母を「絶対行かない!」といってた病院へ
最初は、私も認知症のことを何も分かっていませんでした。
夕方になると、誰かを探してインターフォンを押すばーちゃんを見て、「もう何も分からなくなってしまった」と思っていたのです。
だけど、ばーちゃんは自分の意思で病院に行き、検査を受けました。
その後も、私の渡す薬を1錠でも3錠でも、素直に飲んでくれました。
そこには、「ここで生きていく」と決めた、ばーちゃんの強い意思があったのだと思います。

認知症の正しい知識を持って、支え合あう街「明石」
今まで、支えてもらったから、今度は支える側に
ばーちゃんの介護の経験を、今度は他の誰かの役に立てればと「オレンジサポーター養成講座」「シルバーサポータ養成講座」を受講しました。
『認知症家族』に行けば、同じ境遇の人がいる。
どこに相談したら良いのかわからなければ、まずは地域包括センターに相談してね。(ライフル介護初めての方へ)

トメ子、義母との認知症介護(まとめ)

主人から「ディズニーに行くついでに、実家にも寄ってほしい」と言われてついて行ったのが、始まりでした。
その前から、ばーちゃんには、認知症の症状が出ていたので
「いつかは自分の番が回ってくる」と覚悟はできていたものの、介護はいきなりやってくるというのは本当ですね(笑)
それでも、地域包括支援センターやケアマネさん、家族会など、周りの支援を知っているだけでずいぶん気持ちは楽です。
今振り返ると、この一年は「私が介護した」というより「ばーちゃんが私に介護を経験させてくれた」と思います。
そう思うと、感謝の気持ちが自然と湧いてきます。
これからは、持病の脳腫瘍を抱える実母(83歳)と、主人との三人暮らしを計画しています。
この先どうなるのかは、まだ分かりません。
でも、また新しい暮らし方を見つけていけると信じています。
そのお話は、別の機会で
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。